HOME>パラスポーツインタビュー>辻内 彩野さん

パラスポーツインタビュー詳細

辻内 彩野さん(パラ水泳)

メイン画像

プロフィール

名 前

辻内 彩野(つじうち あやの)

生年月日

1996年10月5日

出身地

東京都

所 属

三菱商事

 今回は、数々の国際大会で活躍し、パリ2024パラリンピック競技大会では100メートル自由形で銅メダルを獲得したパラ水泳の辻内彩野選手にインタビュー。水泳を始めたきっかけや、パラリンピックでの思い出、今後の目標などについて、語ってもらいました。

ご本人写真提供

辻内選手の障害について教えてください。

 もともと視力は1.0あったのですが、小学校高学年の頃から急に低下し始めました。中学生になると一番前の席でないと黒板の字が読めないほどになり、高校の時には先生の手の動きを見て字を読み解かないといけないくらいまで視力が下がりました。進行性の難病「黄斑ジストロフィー」と診断されたのは、高校を卒業して大学入学前の春でした。現在は目の前にいる人の輪郭だけがぼんやりとわかる程度の視力です。

水泳を始めたのはいつですか?

 幼少時代から水で遊ぶことが好きで、小学3年生からはスイミングスクールに通うようになりました。中学1年生の秋に(全国大会出場や上位入賞を目的に競技力向上を目指して専門的に指導を受ける)選手コースに上がったのを機に本格的な練習をするようになり、レースで自己ベストが出るとうれしくて大会を重ねるたびに「できるところまでやってみたい」という気持ちになっていきました。

思い出に残っているレースはありますか?

 中学3年生で初めて全国中学校水泳競技大会の東京都予選に出場したのですが、100メートル自由形ではぎりぎりで決勝に残ることができました。決勝は初めてだったので、泣きそうになるくらい緊張しながら泳ぎました。4、5人を抜いて順位を上げ、予選よりもタイムを縮めることができました。残念ながら全国大会出場のための標準記録にはあと0.3秒届かなかったのですが、「タイムを出すって楽しいな」と思えたレースで、私の競技人生の始まりだったように思います。

ご本人写真提供

パラ水泳に転向したきっかけを教えてください。

 高校3年生の終わり頃、同じ水泳部で同級生の森下友紀(もりしたゆうき)選手(※)とカラオケに行ったのですが、タブレットやモニターの画面に顔を近づけて文字を見ている私を見て、森下選手が「障害者手帳を取って、パラ水泳の方に来たら? 進行性だし、その方が生活も楽になると思うよ」と提案してくれたんです。その時は軽い気持ちで「うん、そうしようかな」と返事をして終わったのですが、黄斑ジストロフィーと診断されたのはその約1カ月後のことでした。その後、症状がさらに悪化して大学2年の頃には障害者手帳取得対象となるまで進行していました。その時にふと思い出したのが、森下選手の言葉でした。さらにその年に開催されたリオ2016パラリンピック競技大会に森下選手が出場していたので、私もテレビで視聴しながら応援したのですが、さまざまな障害のある選手がいろいろな泳ぎ方をしていたり、画面から聞こえてくる会場の声援もすごくて、「パラ水泳の世界って楽しそうだな」と思いました。また森下選手に誘われて東京都内で開催されたジャパンパラ競技大会を見に行った時には、最後にゴールした選手に対してスタンドから拍手が起こる様子に「こんなに温かい大会ってあるんだなぁ」と思いました。そんな経緯もあってネガティブなイメージはまったくなかったので、実際に障害者手帳を取得してパラ水泳に転向するとなった時は新しいことに挑戦できるというワクワク感と、「できるところまでやってみたい」という気持ちしかありませんでした。

パラ水泳ならではの魅力を教えてください。

 パラスポーツのなかでもパラ水泳はスポーツ用装具を身に着けることなく、選手の体一つで戦うスポーツです。だからこそ、選手は自分自身の障害の特性に合った体の動き方や泳ぎ方をそれぞれが工夫して見つけて、独特な泳ぎを編み出します。そうした泳ぎ方の違いを探すのも、パラ水泳ならではのおもしろさだと思います。また、特に知的障害クラスの選手は自己ベストを出した時など喜びの感情を素直に出すのですが、その時の笑顔や喜びの姿は、見ているこちらまで元気になりますので、ぜひそういう瞬間も見てもらえたらなと思います。

これまでに出場した大会で最も印象に残っているレースは?

 2019年の世界選手権です。100メートル自由形では予選を全体2位で通過し、自信を持って決勝に臨んだのですが、力が入り過ぎて前半から飛ばしてしまいました。残り25メートルを切ったあたりからはヘトヘトで体が動かなくなり、どんどん抜かされて4位でした。もしいつも通りのペース配分で泳いでいれば、結果は違っていただろうなと。どんな状況でも練習でやってきたことをしっかりとやることの重要性を痛感したレースでした。

写真提供:有限会社エックスワン

2大会連続で出場したパラリンピックでの思い出を教えてください。

 初出場の東京大会では、400メートル自由形にもエントリーしたのですが、前半からスピードを出し過ぎて、後半はスタミナが切れてしまいました。そのレースで隣のコースを泳いだアメリカの選手とはレース前に話をして仲良くなったのですが、その選手も同じように前半からいって後半はバテてしまい、ゴールした時にハグをして「私たち、頑張ったね!」とお互いに称え合ったのがすごくいい思い出です。パリ大会では50メートル自由形は100分の1秒差で決勝に残れずに大泣きしたのですが、100メートル自由形では銅メダルを取ることができて、現地に応援に来てくれた人たちも喜んでくれたことが本当にうれしかったです。

現在の練習環境を教えてください。

 平日の夜、週に3回ほどは小学生の時に水泳を始めたスイミングスクールで全国大会を目指して頑張っている中高生と一緒に練習をしています。スクールの練習がない木曜日の午前には自主練習をしたりウエイトトレーニングをしています。土日はパラ水泳の大会に出場したり、スクールの記録会に参加したりすることが多いです。休養も大事なので、週に2回は完全オフ日にして心身ともにリフレッシュしています。

写真提供:三菱商事株式会社

重点的にトレーニングしていることは何でしょうか?

 もともと50メートル自由形をメインに練習してきたこともあって、現在のメイン種目である100メートル自由形においても前半のスピードについてはだいぶ出せるようになってきました。その反面、後半にスタミナがもたないというのが一番の課題です。理想としては、前半にどれだけスピードを出しても、後半もそのままいけるくらいのスタミナを持つこと。そのため、これまで練習では量よりも質を求めていたのですが、今は質と同じくらい量にもこだわって練習をしています。

今月開催される愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会に出場しますね。

 前回の杭州大会は視覚障害の弱視クラスの参加人数不足で種目が不成立となり、泳ぐことができませんでした。でも、今大会は視覚障害の全クラス(S11~13)が一緒にレースをする形になったので、ほっとしました。私が日本代表になったばかりの頃から親しくしているシンガポールの選手ともお互いにクラスが変わったりしてなかなか一緒に泳ぐことがかなわなかったのですが、やっと一緒にレースができるので楽しみです。目標はまずは自由形で50、100メートルともにメダルを獲得すること。100メートルの方はタイムにもこだわり、パラリンピックでメダル争いに入れるくらいのタイムである59秒台に挑戦したいです。そして200メートル個人メドレー、100メートル背泳ぎ、100メートル平泳ぎでも日本記録の更新を狙いたいと思っています。

今後の目標を教えてください。

 2028年のロサンゼルスパラリンピックでは万全のコンディションで臨み、自己ベストを更新するようなレースをして悔いのない大会にしたいと思っています。また、パラ水泳の認知度向上、普及拡大という部分で貢献したいと思っていて、今頑張っている若い選手だったり、これから始めたいと思っている子どもたちに、選手としても人としても、「彩野さんのようになりたい」と言ってもらえるような存在になれたらいいなと思っています。

取材日:2026年10月6日
(文/斎藤寿子、撮影/有限会社エックスワン)
(※)森下友紀選手のパラスポーツインタビューの過去記事はこちら