パラスポーツインタビュー詳細

三宅 諒さん(日本パラフェンシング協会ハイパフォーマンスディレクター)

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プロフィール

名 前

三宅 諒(みやけ りょう)

生年月日

1990年12月24日

出身地

千葉県

所属

一般社団法人日本パラフェンシング協会(理事/ハイパフォーマンスディレクター)

 幼少期からフェンシングに親しみ、大学4年の時に出場したロンドン2012オリンピックの男子フルーレ(※)団体で銀メダルを獲得した三宅諒さん。2023年の現役引退後は日本パラフェンシング協会の理事となり、4月には強化戦略を担当するハイパフォーマンスディレクターに就任。世界と渡り合った自身の経験を活かして、選手の強化にあたっています。車いすフェンシングの魅力や、「障害者と健常者の枠を取り払いたい」と話す三宅さんの取り組みについて、話をお聞きしました。


※フェンシングの種目のひとつで、「フルーレ」は身体を突いて得点が認められる有効面が、背中を含めた「胴体」となる。また「優先権」というルールがあり、先に腕を伸ばして剣先を相手に向けたり、先に前進したり、剣を叩いたりした選手が優先権を獲得する

フェンシングとの出会いを教えてください。

 フェンシングに出会ったのは5歳の時です。それまではカルチャーセンターのスイミングスクールに通っていたんですが、僕はうまく泳げなかったんです。ある時、カルチャーセンターの壁に貼ってあったフェンシング教室の写真を見て、「違う競技を始めたら水泳を辞められるかも……」と5歳ながらに悪知恵が働いて、水泳から逃げるようにフェンシングを始めました。

そのフェンシングでは小学6年で日本一になるなど、はやくから頭角を現しました。

 実はその前に、小学4年で6年生を相手に勝利するなどして、全国小学生フェンシング大会で準優勝しました。そこから周りの人の目が変わってきて、僕の中では「勝つことによって周りに影響を与えることがある」と気づく最初の出来事でした。小学4年で2位になっちゃったから、もう負けられないというプレッシャーを感じましたが、僕はそれが嫌じゃなかったですね。

高校2年の時に世界ジュニアカデ選手権大会のフルーレで優勝。これは各年代を通して、日本人初の世界王者だそうですね。

 はい。世界タイトルを獲ることができたのは、ずっと大人と練習をしてきたからだと思います。通っていたカルチャーセンターは中学に入学するころに閉鎖してしまったので、父の会社の一角に簡易的なフェンシング場を作ってもらい、そこでフェンシングクラブを開いて練習することになりました。25~26年前はまだフェンシングをやる子供の数はすごく少なくて、生徒は大人ばかり。コテンパンにされながらも何とか勝ってやろうと取り組んでいましたし、その頃は珍しかった出稽古もしていました。父もフェンシング経験者ではないですし、高校のフェンシング部も当時は強豪校ではなかったので、いまだに僕は「フェンシングの当たり前」というのを知らないんですが、他の人があまりしないようなことをしてきたからこそ、世界を目指すというところに繋がったのかなと思います。

ロンドン2012オリンピックで銀メダルを獲得したことは、三宅さんにとってどのような意味がありましたか?

 当時は大学4年でチーム最年少。僕のキャリアの中では、このオリンピックは通過点だと捉えていました。ところが、決勝で日本に勝って金メダルを獲得した強豪イタリアの選手が涙ぐみながら表彰台を撫でている姿を見て、事の重大さに気づきました。「オリンピックはそんなにすごい場所なんだ」と、意識が変わりましたね。

 それから、アスリートは意外と他の競技の選手と横のつながりがないことが多いのですが、僕はメダルを“武器”に自分から積極的に話しかけて、どういうところに意識を向けて練習しているのかという話をたくさん聞き、すごく勉強になりました。ある意味、メダルは国家資格、身分証明書みたいなものだなと思いました(笑)。

日本パラフェンシング協会のハイパフォーマンスディレクター(以下、HPD)に就任された経緯と、具体的な役割を教えてください。

 先に協会の理事になる打診がありお受けしたところ、強化戦略面でも力を貸してほしいと声をかけていただき、2023年4月からHPDとして本格的に活動しています。現在のところ、代表選手は9人。僕の役割は勝つための道筋を提案し、検証していくこと。本来は、手取り足取り教える立場ではないのですが、自分の経験と知識を共有したいので、実際に僕が車いすに乗って試合形式で練習しながら少し指導もして、という感じですね。

現在、どのような課題を持って取り組んでおられますか?

 フェンシングは、片手で持った剣で相手を突くうえで重要なのがフットワークです。車いすフェンシングの場合、座ってプレーするけれども、例えばフェンシングの競技経験がある選手には、実際にステップを踏んで説明するとイメージできるので、こちらも主観的なアドバイスができます。ところが、車いすフェンシングから競技をはじめた選手のなかには、そのアドバイスを観客視点といいますか、客観的に見てしまうことがあるので、僕がやってほしい動きを技術的に表現しにくいんです。そこは難しいなと思いますね。ただ、基本的な考えとして、互いに歩み寄らないといい形のものは生まれません。彼らが障害によって使えない筋肉があり、身体的に表現ができないなら、いかに代替案を出せるかが僕の力量だと思いますし、それに対して明確な目標と課題を持ち、主観的な質問をすることが、選手の力量だと感じています。

「技術的にできないこと」と「身体的にできないこと」は、どのように判別するのですか?

 自分で動いて示してみて、「これできる?」「この動きのイメージできる?」って聞きます。ある程度、頭の中でわかっているけれど動けないというのは、技術的な原因の可能性が高いと思うからです。逆に、選手から「これは身体が原因です」と言われる場合もあります。それでも鵜呑みにせず、僕は違うと思ったら、「なるほど。でもこの角度で、この身体の支え方にしたら何か変わりませんか?」と、怖がらずに言わなければいけない。障害に関わる繊細なことだから結構覚悟が必要なんですが、その選手の目標を達成したいから言うようにしています。

選手にアドバイスを送る三宅さん

車いすであっても、フェンシングの戦術は基本的には変わらないのですね。

 そう思います。だから、僕の経験から得た知識を車いすの選手に伝え、理解してもらうには、「フェンシングのノウハウを翻訳する力」が必要だと思っています。「僕って過去、すごかったんですよ」じゃなくて、今も健常の全日本の予選に出るレベルは維持しているし、車いすフェンシングも強くなきゃいけないから、車いすの使い方を練習したりするなど、自分なりに努力を続けています。

 健常者と障害者の枠を取り払うという意味では、昨年8月に「シッティングフェンシング大会」を日本パラフェンシング協会主催で開催しました。これは、性別や障害の有無に関係なく、参加者は全員、車いすに乗った状態で試合をするもので、結果は健常者の経験者を抑えて1位から4位までが車いすフェンサーでした。つまり、座ってフェンシングをしたら、障害がある人の方が強いんです。僕は、それがこの大会の価値だと思っています。継続して開催すれば、車いすの選手にとっては普段とは違う剣筋(けんすじ)を体験する機会になるし、強い健常のフェンサーを大会に呼ぶことによって、競技レベルの高さを体感できるので、新たな気づきが生まれるのではないかと期待しています。

三宅さんが思う、車いすフェンシングの魅力とは何でしょう?

 一般のフェンシングのピスト(試合場)は14mの長さがあり、その中で互いに前後に動いて攻防を繰り広げますが、上半身だけで戦う車いすフェンシングは選手間の距離が2mくらいまで近づきます。距離が近い分、「こんな技もあるぞ」とやろうとしても、あっという間に突かれてしまう。どうやったらその攻撃を避けられるか、どうやったら相手を下がらせられるのか、瞬時に戦術を取捨選択することが大事になります。ある意味、フェンシングの究極の形だと思いますし、そこに魅力を感じますね。

車いすフェンシングへの想いを語る三宅さん

三宅さんの今後の目標を教えてください

 僕やスタッフ、選手は今、日本の車いすフェンシング界の歴史の1ページ目を作っているところです。それが、今後10年、20年先の日本の車いすフェンシング界の「当たり前」となるよう、皆さんの力を借りながら、この歴史の教科書づくりを進めていきたいと思っています。

(取材・文/MA SPORTS、撮影/植原義晴)

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