パラスポーツインタビュー詳細
三木 拓也さん(車いすテニス)
プロフィール
名 前
三木 拓也(みき たくや)
生年月日
1989年4月30日生まれ
出身地
島根県
所 属
トヨタ自動車
今回は、パリ2024パラリンピック競技大会に出場し、車いすテニス男子ダブルスで銀メダルを獲得した三木拓也選手が登場。30代後半を迎えても第一線で活躍し続ける三木選手が、車いすテニスを始めたきっかけや、今後の活動に向けた思いなどを語ってくれました。
障害についてお聞かせください。
高校3年生の冬に左ひざに骨肉腫が見つかりました。切断するか人工関節に置き換えるかという選択を迫られ、僕は人工関節にして下肢を残すほうを選びました。左脚の大腿の下3分の1から下腿の3分の2、スネのあたりまで人工関節が入っています。
病気が見つかった当時はどのような心境でしたか?
高校卒業後は体育大学に進学して、テニスのコーチになるために突き詰めていくという将来像が自分の中でできた時期でした。そんなときにスポーツは諦めてくれと言われて「えっ…」という状況で。思い描いていたことが全部なくなった衝撃で医師から「5年生存率が何パーセントです」みたいな話をされてもピンとこない程でした。
それまで大きな病気をしたことがなかったので闘病への耐性ももちろんなく、ベッド生活と治療の辛さを経験して初めて病気の深刻さを認識しました。人工関節を入れたあとの衝撃も強く、術後にまったく脚が動かせないのが信じられなかったんです。その頃には体重も65kgから48kgになっていました、、、。
テニスを始めたのはいつですか?
中学卒業までにソフトテニスやサッカーをやっていて、高校生になって硬式テニスに専念しました。テニスは、課題として取り組んだことが、失敗も成功も全部自分に返ってくるところがすごく魅力的でした。同世代の錦織圭(にしこりけい)選手に憧れて、雑誌を見るなどずっと追いかけていましたね。
車いすテニスとの出会いについて教えてください。
国枝慎吾(くにえだしんご)選手の北京2008パラリンピックの映像を見たことがきっかけでした。入院中に医師や病院の関係者が、こういう映像があるよと見せてくれたんです。車いすでこんなに動けるのかとすごく新鮮で。スポーツをあきらめてと言われたけれど「スポーツできるじゃん」って思いました。
それから退院して、兵庫県のブルボン ビーンズドーム(兵庫県立三木総合防災公園屋内テニス場)に行き、アテネ2004パラリンピックに出場した方が所属しているクラブで、初めて車いすテニスを体験しました。まさか、もう一回コートでボールを打って追いかけることができると思っていなかったので、すごくうれしかったのを覚えています。でも全然動けなくて。打てるところにボールを出してもらわないと打てないし、体にボールは当たるし、難しいなと思いました。やっているうちに、逆にそれがおもしろいと感じるようになり、どうやったら打てるのかを考えながら夢中でプレーしましたね。そうして2009年に本格的に車いすテニスを始めました。
車いすテニスを始める前と後で、気持ちの変化はありましたか?
始める前と後というよりも、車いすテニスを知る前と後のほうが違いましたね。病気でスポーツはもうできないと言われたときは、それならリハビリをしても意味がないというメンタリティでしたが、車いすテニスに出会って、またスポーツができると知ったことで、自分の中で新しい目標や、やりたいことができて、リハビリにも前向きになれました。スポーツの力というものを最初に感じたのは、このときだったと思います。
これまで数々の大会に出場されていますが、大会ごとに雰囲気やご自身の気持ちは変わるものですか?
どの大会にも勝つつもりで準備をして行っているので、気持ちの違いはありません。ただ、ロンドン2012パラリンピックのときは緊張しましたね。初めて出場したパラリンピックだったのですが、シングルス1回戦の相手が開催国・イギリス期待の選手で、センターコートが5000人の観客で満員でした。僕が入場すると拍手をしてくれたので、けっこう歓迎ムードだなと思っていたら、次にイギリスの選手が現れた時には地鳴りのような、人生で経験したことがないレベルの歓声が起きたんです。それで雰囲気にのまれてしまい、気付いたら負けていました。
でも、そこからメンタルも強くなりました。杭州2022アジアパラ競技大会で、地元・中国の選手と3位決定戦で対戦したときには、サーブでトスを上げ直しただけでブーイングが起きるほどでしたが、そんな状況も楽しむことができて、成長したなと思いましたね。
試合中に気持ちを切り替えたり、観客の反応に動じなかったり、スポーツではメンタルも重要な要素です。メンタルはどのように鍛えていますか?
それが苦手で、今もメンタルは課題になっていますが、意識的にトレーニングをしたというよりは、常に上を目指す戦いの中で必要に迫られて成長していったのだと思います。試合中は結果や感情よりも、そのときに何をすべきかをいち早く見つけて、そこに集中するようにしています。あとは、マインドフルネスを取り入れて、寝る前や飛行機などでは頭をすっきりさせるために瞑想をすることもあります。
普段はどんな練習をしていますか?
平日は、北区にある味の素ナショナルトレーニングセンターの屋内テニスコートをメインに、テニスを3時間くらい、フィットネスや車いすのトレーニングを1時間半程しています。
一般のテニスと基本的には同じ競技なので、例えば、投球動作のための可動域を作る練習もしますし、車いすテニスには、跳べない、サイドステップが踏めないといった特徴があるので、競技用車いすでくるくる回ったり、車いす操作などの練習も行っています。
そして、車いすを動かすには上半身の筋肉だけでなく体幹も重要なんです。例えば、車いすが回転したときに体幹がないと、体が持っていかれて次の動きが遅くなるということがあります。そのため、体幹を鍛えるために、バランスボールに乗ってウォーターバッグという水の入ったバッグを振り回し、その状態でできるだけ頭の位置をまっすぐ保つとか、そういうトレーニングもしていますね。
オフの日はどう過ごしていますか?
練習はしなくても、まったく体を動かさないという日はなくて、柔軟やストレッチ、簡単な体幹トレーニングなどは日課のように行っています。そうしないと、すぐに可動域や体の硬さという部分にでてきてしまうので。特に30歳を過ぎてからはすごく意識するようになりましたね。
リフレッシュのために、やっていることはありますか?
睡眠時間をすごく気にするようになりました。昼寝も合わせると1日に9時間近く寝ています。現在は出場する大会のうち9割くらいが海外での試合なのですが、海外遠征に行くときには、しっかりと睡眠がとれるように、マイ枕やポータブルのマットレスを持っていくこともあります。
あとは、写真を撮ることが好きなので、車で富士山まで撮影しに行ったり、海外遠征時にカメラを持っていって、大会と大会の合間の移動日とかに1日空いたりすると、どこかの街に撮影に行くこともあります。島根県出身ということもあって自然が好きなので、風景を撮ることが多いですね。
昨年はパリ2024パラリンピックに出場し、ダブルスで銀メダルを獲得されました。パリでの戦いをどのように振り返りますか?
パラリンピックに出場するのは4回目だったので、独特な緊張感というものはありませんでした。ただ、ダブルスは第2シードでメダル圏内ということもあって、そこに対するモチベーションや緊張感は、今までのパラリンピックとは少し違いました。2017年に腰を痛めて以来、ずっと葛藤しながらプレーしていた部分があり、年齢的にもしかしたら最後になるかもしれないという思いも影響したのかもしれません。
結果としてパリではダブルスで銀メダルを獲ることができましたが、小田凱人(おだときと)選手と一緒に金メダル獲得を目標にしていたので、その目標を達成できなかったという悔しさがやはりありました。終わった後、「ここでやめるのは…」という気持ちがすっと出てきて、それが現在も競技を続けているモチベーションなのかなと思います。
現在の目標はなんですか?
2028年のロサンゼルスパラリンピック出場が大きな目標です。ただ、年齢的に怪我など全く読めない部分もあるので、目の前のグランドスラムと、来年愛知県で開催されるアジアパラ競技大会を大切に戦いたいと思っています。所属先がトヨタ自動車ということもあって、所属先から近い、これまでで一番見てもらいやすい会場で大会があるので、そこでいい結果を残したいという気持ちが強いです。
グランドスラムではダブルスで決勝には行っていますが、まだ優勝には届いていませんし、やはりシングルスでタイトルを獲りたいという思いは強いです。そして、自己最高の世界ランキング5位を超えることも直近の大きな目標にしています。
今後、出場を予定されている大会を教えてください。
2026年1月にグランドスラムのひとつ、全豪オープンへの出場を予定しています。国内では、2026年4月に福岡県で行われる、飯塚国際車いすテニス大会(Japan Open)に出場予定です。グランドスラムに次ぐグレードのアジア最高峰の大会なので、海外からも多くの選手が来て試合をします。ぜひ応援をお願いします。
三木選手にとって、車いすテニスの魅力はなんですか?
健常者と同じコート、同じラケットでプレーできるというのが大きな魅力だと考えています。入院中に車いすテニスのことを知った時、学校で部活動を一緒にやっていた仲間ともう一度テニスをするというのが最初の目標でした。他の競技を見渡してみると、そういうことができるスポーツは少ないということが分かり、そういう部分が車いすテニスの大きな魅力だと改めて感じています。公式の大会ではありませんが、ニューミックスというカテゴリーで、健常者と車いすの選手がペアを組んでダブルスを戦う試合がイベントなどで行われています。
それに競技性の高さも、魅力のひとつだと考えています。競技としての組織体系がしっかりしていて、グランドスラムをはじめ世界各地で年間200近くの大会が開催されていますし、国枝さんや先輩方が道を切り拓いてくださったおかげで、賞金などの部分でも大きく変わりました。
これからスポーツを始めてみようかなと思っている方々へ、メッセージをお願いします。
僕は18歳で受障しましたが、スポーツの力に救われました。パラスポーツを通してすごく多くのことを学びました。健常者、障害者ということに関係なく、純粋にスポーツの力というものが、パラスポーツにもしっかりとあるので、まずは関心を持ってやってみてほしいです。一度パラスポーツの世界に触れたらその魅力は必ず伝わると思うので、できれば体験して肌で感じてもらえるとうれしいです。
試合会場などに足を運んで、プレーを実際に見るのもいいですね。
そこが一番だと思います。僕は2008年に国枝さんのプレーを映像で見て、車いすテニスを本格的に始め、その1年後、2010年に神戸で行われた大会で国枝さんのプレーを実際に見たんです。現場で見た衝撃は、映像を見た時よりもさらにすごくて。それを見て僕はパラリンピックを目指すという選択をしました。それほど大きな衝撃を受けることもあるので、ぜひスポーツは生で見てほしいですね。