パラスポーツインタビュー詳細
小池 岳太さん(パラアルペンスキー)
プロフィール
名 前
小池 岳太(こいけ がくた)
生年月日
1982年8月2日生まれ
出身地
長野県岡谷市
所 属
株式会社JTBコミュニケーションデザイン/公益財団法人日本障害者スキー連盟
今回は、パラアルペンスキー競技で冬季パラリンピックに6大会連続出場を果たした、小池岳太選手にインタビュー。今季を最後に、世界の頂点を目指す戦いからの引退を表明した小池選手が、競技の魅力や今後の活動などについて語ってくれました。
障害について教えてください。
腕神経叢麻痺(わんしんけいそうまひ)という障害です。20歳のとき、大学のサッカー部に所属していたのですが、その練習が終わって、アルバイト先にバイクで向かう途中に事故に遭い、頸椎(けいつい)を損傷し、左腕全体が麻痺しました。
受障した当時、その状況を受け止められましたか?
最初は麻痺について、いまいちその重大さが分からなかったんです。病院には腕も脚も切断した人がいて、重い障害の人が笑顔で生活するのを見ていたので、足も動いて歩ける自分はまだまだかなと思っていました。ただ、高校からサッカーを始め、大学に進学してからもサッカーに励むなかで、ゴールキーパーとしてJリーガーになる夢を見始めた頃でした。片手でキーパーは目指せないというのを入院中に思い知らされ、その夢もあきらめざるを得なくなってしまったことが、最初は受け入れられませんでした。
どのようなきっかけで、パラアルペンスキーに出会ったのですか?
パラアルペンスキーを始めたのは大学2年生からです。入院のため大学1年の後期は授業をほとんど休んだので、単位をとるために各授業をまわっていました。そのとき、たまたま受講していた「障害者スポーツ論」の教授から「サッカーはどうするんだ?」と聞かれたんです。片手のキーパーとして続けるけど夢はなくなったと答えると、「長野出身だったらスキーはできるか? 大学4年生のときにイタリアでトリノパラリンピックがあるから目指さないか?」と言ってくださったんです。その一言がきっかけで、やってみようということになりました。
そしてパラアルペンスキー競技に取り組むことになったのですね。
私自身、子供時代から年数回の家族スキーで慣れ親しんでいましたが、ストック1本で滑るのはこれまでのスキーとはまったく感覚が異なり、初めて挑戦したときは、いきなり転倒してしまいました。そのとき、片腕が使えない不自由さをあらためて強く感じました。
そのうち、左右に差のある体の動かし方も、タイミングを工夫することでバランスが取れるようになっていきました。すると、みるみる上達し、大学3年の春には初めて国際大会に出場できました。さらに大学4年には、トリノパラリンピックにも出場し、現在まで6大会連続で出場を果たすまでに至りました。
普段はどんな練習をしていますか?
アルペンスキーでは、ターン中に体重の2〜3倍ほどの負荷がかかることもあります。そのため、筋力トレーニングや体幹トレーニングなど、身体づくりは非常に重要であり、一年を通じて取り組んでいます。
普段は自転車を使ったトレーニングも多く行っており、一時はパラサイクリング競技に挑戦したこともあります。年齢を重ねてからは、関節の可動域を広げるためにピラティスやインナーマッスルを刺激する呼吸法にも取り組んできました。
冬の競技ならではの難しさもあったのではないでしょうか?
アルペンスキーは練習環境を整えることが難しいですね。冬期はスキー練習が増えますが、特に氷河スキー場など標高3,000メートルを超える場所での練習が多く、非常に体力と回復力が求められます。
そのため、オフシーズンの夏期にしっかりと体力を向上させ、冬期にはその体力を維持することを意識して練習に取り組んでいます。また、海外遠征の際は長期間にわたるため炊飯器を持参し、和食中心の食事でエネルギーの確保にも務めてきました。
そのような経験をしながら、あきらめずに競技を続けてこられたのはどうしてですか?
自分の可能性をずっと信じていたからです。まだ成長できるとずっと思っていたので、ここまで続けてきました。あきらめたら、過去の努力もそうですし、自分の車を売ってまで高い治療機器を購入して治療くださった方や、今まで関わってくれた方々の努力も全部ふいにしてしまう。いろいろな方を巻き込んできたことを、ここで終えてしまっていいのかという思いに行きつき、競技を続けてきました。
小池選手にとって、パラアルペンスキーの魅力は?
パラアルペンの魅力はパラスポーツの中で一番スピードが速いところだと思います。私自身、今季は最高時速140㎞を記録したのですが、これは健常者でもなかなか出せない速度領域です。このように、それぞれの障害を克服して健常者に引けを取らない競技レベルである点にも面白味を感じています。
リフレッシュ法について教えてください。
競技生活においては、遠征中になるべく一人の時間を作るようにしています。道具のメンテナンスやワックスがけをしたり、ランニングや近所のカフェに行ったり。ちょっとチームを離れて一人で没頭する時間を作ることで、リラックスできたかなと思っています。
競技以外では、親が取り組んでいる畑仕事がすごく好きで、石拾いとか草取りが大好きでなんです。自然の中で土に触ると、すごく癒されますね。桑を片手で土を掘る、バケツの水を大量に運ぶなど自然と体を鍛えられることも魅力です。こういった畑仕事をして、親の手伝いをするというのが私のリフレッシュ法です。
自転車競技にも挑戦されましたが、そこにはどんな思いがありましたか?
夏の練習で自転車に取り組むというのはスキーの練習としてありました。2020年に東京でパラリンピックが開催されるということで、夏と冬、両方のパラリンピックに出られたらおもしろいんじゃないかという思いからパラサイクリングに挑戦しました。結果的に東京パラリンピック出場には届きませんでしたが、一番障害の軽いC5クラスでは、2018年から昨年まで私がずっと日本記録を維持して、若手の壁になることができました。昨年ようやく若手が記録を抜いてくれて嬉しかったです。その選手は急成長を遂げていて、いまパラリンピックで入賞できるくらいのタイムで走っています。彼のモチベーションのひとつになれたかと思うと、いい取り組みができたと思っています。
今年3月に開催されたミラノ・コルティナ2026パラリンピック競技大会で6回目の出場を果たされました。小池選手にとってどんな大会となりましたか?
パラリンピックは2006年のトリノ大会から6大会連続で出場しましたが、年齢的に頂点を目指せるのは今回のミラノ・コルティナ大会が最後と考えていました。
当初、本大会への出場には、世界ランキングがあと一つ届かない状態でした。さらに、選考中のワールドカップに出場している最中、特に結果を出したいと考えていた会場での試合中に、恩師の訃報が入りました。とても辛い状況に追い込まれ、一瞬心が乱れて大泣きしましたが、「試合は試合」と気持ちを切り替え、集中して臨みました。その結果、自分でも不思議なくらいポイントを獲得でき、ランキングが一つ上がり、出場権を得ることができました。このレース以外の選考レースでは派遣基準をクリアできていなかったことから、きっと、亡くなった恩師が背中を押してくれたのだと思います。
また、資金面でも活動の継続が難しい状況に何度も陥りましたが、会社や地元の皆様の応援やご支援のおかげで、今大会へたどり着くことができました。こうした経緯からも、非常に思い入れのある大会となりました。試合会場のコースは世界屈指の難コースで、出場者が次々と転倒するなか、全力で攻め、最後まで滑りきれたことは大きな誇りです。残念ながら今大会もメダルには届きませんでしたが、恐怖に打ち勝ち、果敢に攻める姿勢を貫き通せたことについては自分なりに納得しています。
また、コロナ禍により無観客だった北京大会を経て、ヨーロッパの歴史的なコースで行われた大会とあって、会場は大勢の観客で盛り上がっていて、その場にいられることが本当に幸せだと感じた大会でした。
パラリンピックを終え、第一線から退かれることを決断されました。今後については、どのようにお考えですか?
世界の頂点を目指す競技活動からは退き、今後は引き続き会社に業務の一環として支援いただきながら若手選手の練習パートナーとしてサポートしたり、競技の選手発掘や普及活動に貢献していきたいと考えています。その一環として、この4年間、単独で海外遠征に取り組んできた経験から学んだことも積極的に伝え、生かしていきたいです。
というのも、トップチームを外れた時、私自身は練習場や宿泊場所の確保、レンタカーの運転、競技用具のメンテナンスなど、自分一人でこなして大会に出場してきましたが、そこで労力を削がれて試合前から疲弊してしまうという悪い側面がありました。一方で、海外チームに練習場所を求めたり、日本のトップチームからも可能な限りのサポートをいただいたりと交渉を重ねた結果、多くの方に助けていただきパラリンピックに繋がった経緯がありました。若手選手には苦難に陥った時に諦めずに粘り続ける精神と少しでも近道を通って成長してほしいため、私の経験を通じた後押しをしていきたいと考えています。
おかげさまで、私は長い競技生活を送ることができましたが、それは周りの方々からの励ましやご支援、そして導きがあったからだと感じています。人の可能性は努力次第で大きく伸ばすことができると、身をもって学んできました。この経験を、今後は講演活動や情報発信、パラスポーツ体験会の実施などを通じて、社会貢献にもつなげていきたいと考えています。
最後にメッセージをお願いします。
「体験やリアルは人の価値観を広げていくこと」です。長くパラスポーツを続けるなかで、人の可能性を簡単にはあきらめてはいけない、人の能力や可能性は努力次第で広がっていくということを知りました。伸ばし方にはいろいろな選択肢がありますが、私は、行動して普段の環境の外にどんどん出て行く体験を通じて可能性が広がったという経験をしました。やはり、体験を通じてこそ、失敗を知り工夫に工夫を重ねて目標に向けて挑戦していくことが、やはりすごく大事なんだなと感じました。今後、こういった各個人の壁を乗り越え挑戦する姿勢を体現する対象として、パラスポーツで活躍している選手たちを見てもらい、勇気を感じてもらえたらうれしいです。